
武豊は王道なんですか?
何より武豊騎手の名前が含まれていることが人脈の凄さを物語る。「王道」という言葉がいかに馴染むかわかるというものだろう。勝負に余計な感情を一切はさまず、勝利を最大目的としたシビアさは、尾形一門に脈々と受け継がれる意志なのかもしれない。それに対し、人情派ともいうべき派閥が高橋孔照派・函館大経派、そして西の森文一派・鈴木甚士旦派である。高橋孔照派を見ると、東の加藤修甫師や西の戸山為夫師といった、理堅さで有名な人物の名前が浮かび上がる。この2人には共通したエピツードがある。加藤修甫師は中舘英二騎手をアサヒエンペ一―に、戸山為夫師は小島貞博現調教師をノブルボンに、ともに周囲の反対を押し切て愛弟子をクラシックに騎乗させた。ま館大経派に目を移せば、高橋祥泰師がフリになったばかりで苦労していを、全面的にバックアップした事実がある。では、西の函館大経派はどうか。∞年の年度代表馬テイエムオペラオ!を管理した岩元市三師が、愛弟子である和田竜二騎手の騎乗にこだわっていた話は有名だろう。結果云々の前に弟子を思いやる気持ちを優先させるのも、人情派で知られるファミリーの大きな特徴といえる。図には記さなかったが、血縁関係や同門関係も重要な要素となる。息子がいれば厩舎を継がせるのが習わしで、騎手になれなければ調教助手として修行を積ませ、後継者にする。仮に娘しかいない場合は娘婿として騎手を迎え、厩舎を継がす。娘といったらツーショトダイヤルの子しか思い浮かばないって自分変態かも。。
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